コンクールの審査員をしました
今日は、台風が近づいているため、あいにくのお天気でしたが、川越市の中学校の合唱コンクールの審査員をするために、川越へおでかけ。
電車のダイアが乱れがちでしたが、無事時間よりも少し早く川越について、ホッとしました。
緊張の中、舞台にがんばって立ち、演奏する子供たち。声は出せないので、「がんばれ~~」と心の中で応援です。
ピアノの伴奏が止まってしまったクラスがあったのですが、見事に、指揮者は何事もないように指揮をし続け、そして、歌い続ける子供たち。声が若干大きくなったのは、きっとピアノをカバーしようとしたからでしょう。ピアノもころあい見計らってすぐに伴奏に戻って、落ち着いて対応していたのに感動しました。緊張の中、アドリブでやってのけるのは、本当にすごいこと。ミスをしないことよりも、ミスをしたときに、どうリカバーするのか、その時に、そのチームの強さが見えるなぁと思いました。このクラスには、最高のチーム賞をあげたい!と思ってしまいました。
J-POPベースの難しい曲も多く、合唱向きでない曲を合唱であえて歌うってどうなんだろうなぁ?といつも思います。でも、好きな歌を子供たちが好きという思いで歌いぬくというのもいいのかもしれない。
合唱コンクールは、審査員でしたが、私がとても楽しませてもらいました。校長先生から、来年も是非と言われているので、1年生、2年生の成長を見に、また審査員としてお声掛けいただけると嬉しいなぁ~と思っています。
私は、音楽の先生からのリクエストもあり、「赤とんぼ」と「荒城の月」の2曲を、模範演奏として歌いました。
「赤とんぼ」は、山田耕筰先生が、「オペラのようにではなく、さらっと歌ってほしい」と言っていた曲。これを、さらっと歌うのは、意外と難しい曲だと思います。やわらかく、やわらかく歌うことを意識しました。歌いながら、昔、この曲をレッスンしてもらったときに、赤とんぼのアクセントが時代とともに変わって行ったというお話を伺ったことを思い出しました。
「荒城の月」は、山田耕筰先生の編曲版で演奏。瀧廉太郎が明治36年に亡くなった後、山田耕筰がニ短調へ移調し、旋律も変えたこの曲。「花の宴」の「え」を半音下げている話は有名ですが、海外で演奏するときは、原曲で歌うケースが多く、山田耕筰編曲版で歌うことは実はとても少なかったので、演奏のときは特に気をつけました。
昔、アメリカに住んでいた頃に、日系人のシニアの方々のデイケアセンターでボランティアをしていたのですが、その時に、山田耕筰先生の歌手として渡米した方がいらして、なんとも素晴らしい声で歌われていたことを思い出しました。その方も、この曲を演奏するときに、原曲は違うのよねとおっしゃっていたのを、これまた何十年ぶりかに思い出しながら、演奏しました。
今日は、昔のことを思い出すことが多くて、私も年かしら?と心配になってしまいました。
今日は、沢山の音楽に包まれて、なんだかとても幸せな気分です。
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