團十郎の歌舞伎案内

32055750市川 團十郎(十二代目)氏の「團十郎の歌舞伎案内」を読みました。
#はじめにの中で、團十郎が正しい表記で、団ではないと書かれていたので、あえて当用漢字ではない團をここでも使います。

内容
歌舞伎の真髄とは何か? 役者はどのような思いで演じているのか? 理論派で知られる歌舞伎界の名優が、みずから語る日本文化の美意識。

以前から声楽の渡辺誠先生から歌舞伎や能を見て勉強できることが多いと言われており、今年は歌舞伎をはじめとする日本芸能を勉強したいと思っていたので、手に取りました。オペラよりも、もっと、基礎知識が無いと楽しめないものだと思っているので、今年は舞台を観にいくよりも、まず、基礎知識習得のところから。

市川 團十郎氏は、今年はじめに観にいった「雷神不動北山櫻」の市川海老蔵のお父様にあたる方です。文中、この「雷神不動北山櫻」について、團十郎氏ならではのご意見が出てくるのも興味深い。

「私も見ましたが、頑張ってなんとかよくまとめていたなと思います。ただ、大詰めでお見せしたラスベガスのイリュージョンを使った空中浮遊の演出。全体を見たときに、あの部分は、はたしてほんとうに効果のあるものだったのか、歌舞伎の時代物らしく演出する方法もあったのではないかと、わたくしとしては少々疑問なのです。(中略)たしかに「おまえ、それは市川家の格じゃないよ」といいたい部分もございます。でも一方で「とにかくやるだけやってみろ。それから文句をいわれたほうがいい」と思うんです。」(P.96より)

ご自身でも「わたしくも二十代、三十代のころは生意気なことを言っておりましたし、自分では古いものをやめて新しく変えたなんて思い上がることもありましたけれども」とおっしゃっているので、海老蔵氏の思いも意気込みも分かった上で、こうおっしゃっているのではないかと思うのです。それをあえて口にしないところが(文章にしてしまっているので、ご子息としては複雑な思いはあるのでしょうが)、すばらしいなと思います。

このような思いはどの家族にでもあるのではないかと思います。昔から父のことはとても尊敬していましたが、一時はとても反発をし、彼の言葉に耳を貸さなかった時期も短くはありません。「お父さんの頃とは時代が違う」というのは当時の私の口癖。不思議なことに、最終的には父と同じような職に就き、自分が会社の中で仕事をする時間が長くなればなるほど、父がしてきた仕事に対して尊敬の念を抱きますし、そして、父から時折来るメールや電話でのアドバイスの一言一言を噛締め、父の考え方や仕事に対する想いに対して、自分は果たしてそこまでいけるのだろうかとも思ったりします。

話を本に戻すと、「矢の根」の掛詞のお話では、江戸時代の庶民の知識レベルの高さに驚きました。洒脱な言葉遊びを理解できるのは相当の知識がなければできないこと。現代のお笑いのレベルが下がったと言われるのはこのあたりにあるのではないかと。芸人のレベルが下がったというよりは、聴衆のレベルの問題もあるのだと思います。そして、矢の根の解説なしではまったく理解できない自分の日本語(すべての言語においてですが)力の低さを恥、もっと勉強すべきことはたくさんあるのだと、ちょうど先日「音楽と社会」を読んだ時にも感じた気持ちが沸いてきました。

この本の多くの箇所を引用したいほど、知が詰まっている本で、しかし、それを非常に分かりやすく、面白く書かれていて、市川 團十郎の世界に引き込まれます。青山学院での集中講義の内容がベースだそうですが、この授業を受けに行きたかった!受けられた人はとってもラッキーだ!と、うらやましく思います。

書籍は持ち運びができ、自分の都合のいい時間で、どこにいても勉強をさせてくれる、非常にいい先生です。図書離れが進んでいるのは、本当に残念なことでたまりません。

(総合評価:★★★★★ 非常にいい本です。保存版にします)


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