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Photoスザンナ・タマーロの「心のおもむくままに(Va’dove ti porta il cuore)」を母が置いていったので、お風呂の中で読む。

内容紹介
道に迷ったときは立ちどまって、じっと「心の声」に耳をかたむけてごらん。家を出た孫娘にあてて、老女は置き手紙のつもりで日記を綴り始める。穏やかな語りかけが、生きることへの励ましと安らぎを与えてくれる、心にのこる名作。

Kokorono映画化もされています。
3代の女性の生き方を祖母の日記という形で綴られていく小説。価値観が違う3世代。自分がその地点を通り過ぎたから見えるものってあるのだと思う。まっすぐに生きるとはこういうことなのだと、本を読み終わった後も涙が止まらない。
なぜ母はこの本を置いていったのだろう? 
いくつかのことが、ぐるぐると頭の中を駆け巡る。プライベートなことなのでここには書けないけれど。
この小説の中には、いくつか面白い考え方だなと思うものが出てきました。例えば、動物の夢の話。

動物にとって夢は生き残るための作戦をねるひとつの方法なのです。追いかけるほうは獲物を得るためにつねに新しい手段を考えめぐらさなければなりません。追われるほうは、食べ物はふつう草というかたちで目の前にあるのですから、できるだけはやく逃げる方法を考えればいいのです。

自分が草食系なのか肉食系なのか、夢の内容である程度自分の置かれている状態が分かるのかな?と思ってしまいました。最近は、悲しい夢しか見ない。心の中で整理しなければならないことがたくさんあるのだと思う。
人生の岐路について。

分かれ道のどれかをたどっていくうちに、他の人生にも出会う。その人生を知るか知らないか、とことんいっしょに生きるかで途中で捨てるかは、そのときどkの一瞬の選択にかかっている。こっちが気づかなくても、まっすぐ行くか横へまがるかに、自分の生き方や、近しいものの運命が翻弄されることも少なくない。

こころして生きよう。
運命について。

エルネストは熱っぽく語った。「どんな男にも、完全に溶けあえる女性がひとりだけはいるんですよ。どんな女性にも、いっしょにいてひとつだと感じることのできる相手がひとりだけはいるんです」と彼は言った。でもおたがいに出逢える運命にあるのはほんのひと握りの人たちでしかない。そのほかはみんな、心に不満や慕情をいつまでもくすぶらせながら生きてゆかなければならない。「出会いって、どのくらいあると思う?」彼は部屋の暗がりのなかできいた。「一万にひとつ?百万にひとつ?それとも一千万にひとつかな」そう、一千万にひとつなのだよ。そのほかはすべて妥協だの、うわべだけの共感だの、気まぐれだの、身体や性格の似たもの同士だの、社会的便宜だのにすぎない。

核心をついているなぁ。。。
でもね、人は一人で生きていけないの。などと、なんらかの言い訳をしながら生きていくわけだし、出来事や出逢いに意味をつけるのは、その人次第だと私は思うのです。
最近、小説を読みながら、物語を追う自分だけでなく、別の視点で読み対話をするもう一人の自分がいる。結局、もう一人の自分がいるから、どんな文章を読んでも、「秋山ゆかりフィルター」がかかってしまって、同じような結論が出てくるんだろうなぁ。。。 答えはもう出ているということですね。はい。
(総合評価:★★★★★ ものすごく感動しました。女性だけでなく、女性の視点を理解したい男性にもおススメの1冊です)


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