米原万里の「愛の法則」

Photo_3米原万里さんの最初で最後の講演集「愛の法則」を読みました。これが最後の講演集とは本当に残念でたまりません。また、当時は闘病中だったにも関わらず、この講演集を読んでも、闘病中とは思えない程、精力とユーモアに溢れた講演です。こういう方の本を読むと、体調が悪いと籠ってないで、私も明るく元気にがんばろう!と、力を貰います。

内容(「BOOK」データベースより)

稀有の語り手でもあった米原万里、最初で最後の爆笑講演集。世の中に男と女は半々。相手はたくさんいるはずなのに、なぜ「この人」でなくてはダメなのか—“愛の法則”では、生物学、遺伝学をふまえ、「女が本流、男はサンプル」という衝撃の学説!?を縦横無尽に分析・考察する。また“国際化とグローバリゼーション”では、この二つの言葉はけっして同義語ではなく、後者は強国の基準を押しつける、むしろ対義語である実態を鋭く指摘する。四つの講演は、「人はコミュニケーションを求めてやまない生き物である」という信念に貫かれている。


【目次】第1章 愛の法則(世界的名作の主人公はけしからん!/もてるタイプは時代や地域で異なる ほか)/第2章 国際化とグローバリゼーションのあいだ(「国際」は国と国とのあいだ/国を成立させる要素 ほか)/第3章 理解と誤解のあいだ—通訳の限界と可能性(同時通訳は神様か悪魔か魔法使い?!/濡れ場の多いベストセラー小説『失楽園』 ほか)/第4章 通訳と翻訳の違い(言葉を相手にする通訳と翻訳/小説を楽しめる語学力があれば通訳になれる ほか)

すべての章でメモを取りたくなったくらいなのですが、一番考えさせられたのが、第二章の「国際化とグローバリゼーションのあいだ」。p.107にまとめがあり、なるほどなと納得させられるだけでなく、自分が考えるグローバリゼーションや国際化の定義はどうなんだろう?と自問自答してしまいます。

世界最強の国の基準に世界中を合わせようとする「グローバリゼーション」と、世界最強の国に自分が合わせていくという「国際化」、これは正反対だけど、コインの裏表の関係になっているわけです。迎合するか、従属させるか、そのコインの裏表でぴったり合っているのです。

 私はほんとうの国際化というのは、現実の国際化よりもはるかに困難だけれども、別なところにもっと面白い道があるというふうに考えています。一時的な経済力とか、軍事力などからはもっと離れた形で、世界のいろいろな国の文化、言葉というものを見て、それと日本語との直接の関係を築いて行くことだと思います。それがほんとうの国際化であるし、そのことによって、世界も日本も豊かになるというふうに考えます。

第三章の理解と誤解の間は、私自身も海外生活が長かったため、「あるあるある〜」と笑いながら、読めました。そして、同じ言葉を話すにも関わらず、日本人とのコミュニケーションが、実は一番誤解があるのではないかと思わざるを得ませんでした。
コミュニケーションって本当に難しいです。


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