すべては遠い幻

Photoわたしの中のあなた」の著者、ジョディ・ピコーの「すべては遠い幻」を読みました。

あらすじ(Bookデータベースより)
ディーリア・ホプキンズ、32歳。幼いときに母親を亡くし、以来父親の手ひとつで育てられた。父の深い愛情に包まれ、何不自由ない少女時代ではあったが、やはり母のいない寂しさは埋めようがなかった。母が生きていてくれたら、とことあるごとに夢見ながらおとなになった。ところがある日、衝撃的な出来事が起こる。父の逮捕。容疑は28年まえの幼児誘拐。被害者はなんと、当時4歳だったディーリア自身。離婚した妻のもとから彼女を連れ出して、28年間、身分を偽り、真実をひた隠しにして生きてきたのだった。ディーリアは激しく動揺する。愛する父が犯罪者?母は生きているの?わたしはほんとうは誰なの?幻のように消えてしまった自分の過去を探る彼女は、やがて苛酷な真実と向き合うことに…。誘拐、アルコール依存、親子関係など、答えの出せないさまざまな問題を読者に突きつける意欲作。

届いたときに、「うわっ、重い!598ページにも及ぶ小説を買ってしまった…」と、後悔。最近出張が多いので、どうしても持ち運びに便利な本を好む傾向があり、重い本は敬遠しがち。しかし、意を決して、お風呂の中に持ち込んで、読みきりました!

小説自体も重いのですが、内容も非常に重かったです。

私がもしディーリアだったらどうしただろう?

自問自答しながら、そして、自答できればいいのですが、答えが出せない、あるいは、出しにくい内容に、目は本の上の文字を追うも、頭はなかなかそれについていけず。特に、ディーリアが知りたい、でも、知らないほうがいいかもしれないと揺れ動く様に、私自身が揺れ動いてしまいました。

アメリカでは起こりうる事件ですが、最近の日本でも起こりうる事件だと思いました。先日読んだ(まぁ、小説の世界ではありますが)、「カッコウの卵は誰のもの」でも、誘拐したであろう娘を育てる話だったわけで、ここでも、知りたい、でも知らないほうがいいかもしれない、いや、知らねばならない、知ったら一緒に暮らしていけるのだろうか?という葛藤がありました

数年前に、渡辺千賀ちゃんから薦められて読んだ"Switching Time"の内容は、その虐待の描写から読んでいられないほどだと思ったのですが、この本は、心の微妙な揺れ動きを書き綴っているので、心の痛さで読むのに苦労した本です。

答えが出せないような状況に出逢ったときに、人はどういう決断をするのか?

小説を通じて自分の「生きる力と決断力」を評価されているように思いました。


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