サラエボの花
2006年ベルリン国際映画祭金熊賞受賞の「サラエボの花」を観ました。
あらすじ(goo 映画より)
ボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都サラエボで、シングル・マザーのエスマは12歳の娘サラと2人で暮らしている。生活は厳しく、エスマは深夜までナイトクラブで働かねばならない。疲労が重なったエスマは、ときどき自分の感情をコントロールできなくなり、サラに対して辛くあたってしまう。一方、娘のサラは戦争で死んだという父親の死について疑問を持ち、エスマを問い詰める。エスマには娘には言えない隠された過去があったのだ。
日本がまだバブルの余韻に浸っていた90年代前半、ユーゴスラヴィア解体の中で起きた悲惨な内戦。それがボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争だ。昨日まで一緒に学んでいた友だち同士が、今日は殺し合わなければならないような現実。とくにこの物語の主人公であるエスマのようなムスリム人は、「民族浄化」の名のもとにセルビア人勢力により大きな迫害を受けた。エスマが負った心の傷は、やっと新しい道を歩き出したボスニアという国の傷と重なるだろう。苦しくとも過去の痛みを認めなければ、真の新しいスタートを切ることができないという点で。ボスニアにはエスマと似たような傷を持つ女性が数多いという。しかしどんなことがあっても、子どもは未来へ向かっていくための希望だ。そんな決意が本作に込められている。
ユーゴスラビア崩壊から12年。
小学校の頃、ユーゴスラビアから来た少年のお世話係をしていたことがあります。片言の言葉しか通じなくて、意思疎通に苦労しました。サッカーが非常にうまい子でした。2年ほど日本に滞在した後、ユーゴスラビアに帰国後もお手紙をやり取りしていましたが、内乱で、手紙も途絶え、その彼がワールドカップフランス大会の時に、パリでサッカー関連のお店をやっていてテレビに出ていて、非常にびっくりすると同時に無事生きていてくれたのだと、涙が出てきたことがあります。
私にとってのボスニア紛争はそれだけの関わりなのだけれど... この映画を突然観に映画館に入ったのは、ユーゴというキーワードが心の片隅にまだ残っていたからかもしれません。
もう1つボスニア戦争というと、高木徹氏が書いた「戦争広告代理店」が強烈に心に残っています。「ボスニア紛争の勝敗を決したのはアメリカPR企業の「陰の仕掛け人たち」だった。」というコピーが衝撃でした。
さて、映画の話に戻ると...
秘密を一人抱えたまま生きていく母の苦しみがひしひしと伝わってくる映画。戦争が終わっても、心の傷は癒えないのだと、悲劇は続いているのだと思わせる映画。きっと、第二次世界大戦後の日本もそうだったのだろうと思います。
でも、一つひっかかるのは、男性が戦争を持ち込み、女性がそれに苦しむという構図。ステレオタイプし過ぎに思います。そして、映画の終わりのところから、この親子の本当の人生と苦しみがスタートするのではないかと思い、この続きはいったいどうなるんだろう!?と心配になってしまいます。その後を是非描いてほしいです、
サラ役のルナ・ミヨヴィッチが非常にいい演技をしています。
(総合評価:★★★★☆)
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