(Study) 古今和歌集第十八巻 紀貫之を臨書する
現在臨書しているのは、古今和歌集第十八巻。
紀貫之の変体仮名に悶えております(格闘の方が正しい?)。
だいぶすらすらと変体仮名が読めるようになってきました。ロシア語よりも、読みやすい(当たり前!?)
第十八巻に収められている歌は、無常・厭世の思想が基調だそうですが、貴族社会に対する不満をつづった歌というよりは、いろいろな歌があるように思います。
西行上人談抄で西行法師が「古今和歌では雑の歌を参考にせよ」とおっしゃっていたけれど、きっと十八巻のことを指していたのねぇ~ (と、勝手に解釈)。
さて、写真は今日臨書をしていた948番。
「世の中は昔よりや憂かりけむわが身ひとつのためになれるか ~読人しらず」
先生に解説していただきました。
この世は昔からつらい世の中だったのだろうか。それとも、わが身ひとりにとってだけこんなにつらいものになったのだろうか。
表面は世の憂さは昔からか、自分にだけかと疑っているようだが、身の憂さを感じた出家の作。
時代は変わっても、人の言うことってあまり変わりないのねぇ~と言いながら、目の前にある紀貫之とは全然関係ない近衛信尹の字を「かっこいい~ 私もかぶきた~い」と話しながら、臨書に励む私 (*^-^)
今日は、先生からかなの臨書の特別なテクニックを教わって、もはや書道ではなく、工作!?という状態で、臨書をやってみました。なんでもスパルタ教育の臨書は昔からこういうやり方をしていたそう。
やり方を変えてみると、臨書の新しい気づきがいっぱいっ!
これから1か月くらいはこうやって紀貫之の臨書をするのね~
相変わらず、雑談の多い先生と私ですが、本日は「やっぱり小野お通のように生きていきたいわぁ~」と、最後は、平安時代だったはずなのに、安土桃山時代までタイムトリップして、本日の臨書終了。
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