上智のコミカレ「生殖医療・倫理・法」 第十回「AID、生殖補助医療における法と倫理」

第十回は、芝浦工業大学工学部准教授 本田まり先生の「AID、生殖補助医療における法と倫理」でした。

本田まり先生は、家族法、医事法、フランス法との比較をされていらっしゃり、法のサイドからの生殖補助医療における倫理についてお話ししてくださいました。

授業は4部構成でした。

1: はじめに

生殖補助医療は子供を産むための技術であり、先端科学技術のため、安全性や確実性が、必ずしも保障されているわけではない。

当事者が同意しており、(自然的)血縁(DNA)上の親子関係があるにも関わらず法的に親子関係が認められない事例をいくつかあげてくださいました。

不妊症は疾患か?という問題はおいておいて… 患者・家族と医療関係者と法令、倫理指針、専門団体の自主規制の間に、相容れない場合があり、「現行の法制度でいいのか?」「逸脱のような行為により新たな法制度が作られるのか?」個々人の価値観を問い直すことが出てきていると御指摘されました。

AIDを含む人工授精は法律上禁止するのは現実的ではない状況があり、今回の授業で取り上げるのは、人工授精の狭義の体外受精と胚移植の間に「何が起きたか?」が問題となっていることを示唆。

2:親子関係に関する現行法の対応

特別な法規制が存在しないため、民法(第4編 親族法)が適用されているのが現状。

この中で民法722条 第1項の「妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する」という「推定」という方法を使っていること。「子の福祉」の観点から、血縁上の親子関係と法律上の親子関係は異なることがあるということ。母子関係は分娩という事実のみ(最判昭和37年4月27日民集16巻7号1247頁)というところから、「分娩の母ルール」の3つをあげられた。

これを紹介したうえで、AIDの問題点として、夫の同意がある場合とない場合の判例を紹介。

さらに、AIDで生まれた子供の気持ち(苦悩)という観点は、親が子どもを産むと決めたときには、そこまで推察されていなかったことなどを挙げられた。

この授業では、日本弁護士連合会の「生殖医療技術で生まれた当事者の声を聴く」という会合の案内もされており、多面的に物事を考えるように授業が作りこまれていて、非常に勉強になります。

さらに、性同一性障害による戸籍の性別変更で子供をうけた場合の親子関係の判例についてもレビュー。

その後、AIHの問題点として、死後生殖についての日本とフランスにおける判例及びその問題点を議論しました。

死後生殖:冷凍保存された精子を夫の死亡後に人工授精または体外受精させて子供をもうけたことで、日本では3件の事例があるそう。どれも認知請求を否定する判例になっており、特に松山の事例が、この基礎となっていることを示唆。

フランスの事例では、1994年に制定された生命倫理三法から2004年、2011年の生命倫理法の改訂について、その間どのような議論が行われたかを詳しく述べられ、フランスでの考え方から判例の処理の仕方がレクチャーされました。

基本的には、死後授(受)精は認めないが基本。これは、法的地位が不安定な子の出生を避けるためであり、いろいろな議論はあったものの、生きている者の親になる計画というのが基本。女性について、死別の苦しみが権利を創出するのかも含めフランスでは議論があったものの、最終的にはここに落ち着いたそう。

体外受精の問題点として、大谷医師や根津医師の事例や、アメリカのBaby Mの事件、そして、メディアでもずいぶんと話題になった向井亜紀夫妻の判例もあげられていた。

数年前に、このブログでも紹介した「My sisiter’s keeper (わたしの中のあなた)」に描かれていた救世主兄弟(重篤な疾患を持つ兄や姉の治療のための子)は、フランス、イギリス、アメリカでは許容されている点についても、「医薬品としての赤ちゃん」という考え方もあったが、結局、許容されている話も言及があった。この映画では、家族のためにみなが少しずつ犠牲になっている。”What can I do for you?”がテーマとなっている点も言及されていて、何が本当に正しいことなのか、みな模索しているのだということがよく分かった。

3: 生殖補助医療に対する国の取組み状況: 法整備のための作業―現在進行中

厚生労働省の厚生科学審議会 生殖補助医療部会による「精子・卵子・胚の提供による生殖補助医療制度の整備に関する報告書」(平成15年4月)は、この業界で仕事をしているので、もちろん読んだことはありますし、よく出てくるのですが、法的にみて、これは画期的だったそうで、その点がとても新しかったです。

どこが画期的だったかというと、死後生殖を認めない、出自を知ることは認めるという2点だったそうです。法律とはあまり関係のない(?関係はあるのだろうけれど、実際にあまりそういうところが問題にならない仕事だったから)仕事をしていると、こういう点が画期的というのは分からず。

法務省も法制審議会 生殖補助医療関連親子法部会で「精子・卵子・胚の提供による生殖補助医療により出生した子の親子関係に関する民法の特例に関する要綱中間試案」を同じく平成15年7月に出しています。AIDでは、同意した夫が父となるということでした。

この2つを受け、厚労省及び法務省が日本学術会議に申請をし、2006年12月~生殖補助医療の在り方検討委員会が代理懐胎を中心に議論。対外報告「代理懐胎を中心とする生殖補助医療の課題」を平成20年4月8日に出しています。

4: おわりに

子を産むということは、「もうけようとおもっても授かるかどうかわからない」。当事者が同意をし、医療関係者が施術したときに、子供は存在していない - 苦悩を負わせる可能性があること、子を得る(もうける、授かる)ことを問い直すのが、今日の授業で話したことだと本田先生が締めくくったのが、印象的でした。

Q&Aでは、今、話題の子宮の移植についての質問が出ました。トルコでは死体からの移植が成功し、生着率もよく、今度は子供が産めるかどうかの段階に入っています。前回の石原先生の授業では、北欧でも今年中に子宮移植の臨床が始まり(こちらは死体ではなく生体から)今後は子供を産むのが可能か?という議論が出てくるでしょう。こうなると、代理懐胎の問題は解決されるのか?というのが質問だったのですが、確かに代理懐胎による親子関係の課題は解決されるにせよ、子宮の移植(子宮の移植は子供を産むための一時的なものととらえられているのが主流)を認めていいのか?という議論は、これから出てくるそうです。

 

授業を受けた雑感。

この授業受ければ受けるほど、「どこまで人間が介在していいのか?」という疑問を持たざるを得ません。

それについて、本田先生は「技術的にできることと倫理的にやっていいことの識別をする必要がある」とお答えくださいましたが、なんだかイマイチすっきりしない私。自分なりに、いろいろな角度から考え、自分の意見をきちんと持つことが大切なんでしょうが、どこがボーダーラインなのか、自分の中で論理的な線引きができていません。

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