君のためなら千回でも
京都にいるのになぜか映画館にいる私。「君のためなら千回でも」を観てきました。
内容
ソ連侵攻前の平和な時代を送るアフガニスタン。裕福な家庭に生まれた少年・アミール(ゼキリア・エブラヒミ)は、誕生と同時にに母親を亡くし、父親に疎まれていると不安を抱きながら暮らしていた。そんな彼の心の支えとなったのが、父の友人であるラヒム・ハーン(ショーン・トーブ)と一つ年下の召使の子供・ハッサン(アフマド・ハーン・マフムードザダ)だった。アミールとハッサンは、幼い頃から一緒に育ち、兄弟のようにいつも一緒に行動をしていた。しかし、冬の最大のイベントである凧揚げトーナメントの日、思いがけない出来事が2人の関係を冷酷に断ち切る――。それから時が流れ、アメリカで生活を送るアミール(ハリド・アブダラ)の元に一本の電話がかかってきた。そして、彼は衝撃的な事実を知らされることになる…。
Newsweekの記事に紹介されていたこの映画。
この作品は、アフガンの戦争や「狂気」でなく、そこに生きる人々に焦点を当てた初めてのハリウッド映画だと思う。
主演のアブダラさんが上記のように語っていたので、「普通に生きる人々はどのように何を感じ生きているのか?」という観点を見たくて、どうしても観に行きたいと思っていました。
賛否両論ある映画なのは耳にしていました。周囲の友人の中には、アメリカナイズされすぎてて、キレイなハリウッド映画すぎてイヤになると言っていた人もいたのですが..私は、とってもいい映画だと思いました。
こういう激しい状況の中を生き抜いてきた、アメリカに移民して溶け込まざるをえなかったアミールだって、やはり、戦争の犠牲者なのです。苦しいことは山ほどあったはずだし、友人を見捨てた自責の念だってあったと思う。でもそれを封印しなければ、生きていけない。望郷の気持ちだって、半端じゃなかったと思います。
大学時代のルームメートのことを思い出しました。難民キャンプを経て、やっとアメリカに移民のできたのですが、難民キャンプで5歳のときに、複数の人たちにレイプされたことから、(本人はその記憶を抹殺していて、彼女のお姉さんから注意してほしいことがあると事前に連絡を受け、知らされました)夜中に泣き叫ぶことがありました。そのときは、胸に抱きかかえるようにして(胸は女性らしさの象徴で、彼女は女性の胸に抱かれると安心するらしい)、彼女がもう一度寝るまでそばにいるのが常でした。
普段は明るい元気なとってもアメリカンな子でしたが、夜中そういう状態になるのを知っているのは、彼女の家族と私など、ごく一部の人だけ。知らない人は、移民にも見えず、脳天気なアメリカ人に見えたかもしれません。
彼女と彼女の家族は国も、母国語も、何もかもすべて捨てて、アメリカで生きのびる決心をして、海を渡ってきた人たち。彼女のお姉さんが、「レイプされようが、殺されかけようが、それでも生きている。生きているということは、未来にチャンスがあること」と、下手な英語で一生懸命話していたのが、印象的でした。
この映画を見て、思い出したのは、この時の、お姉さんの切羽詰まった声でした。
いろんな思いが混じり合って、とても泣けました。
アメリカ人的視点でつくられたと思う方も多いかもしれません。それでも、この映画が伝えたかったことは、多くの人々に伝わったのではないかと思います。
ハッピーエンドではない映画だと思いました。戦争をなくすために、私は何ができるのだろうか? こういう映画を見ると、いつもその疑問が浮かびますが、答えはまだ出せていません。
(総合評価:★★★★★ いい映画でした。原作も読みます。)
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