超・上層教育
数週間ほど前にGifcomの代表 南川さんとお会いしたときにも話題に出ていたボーディングスクール論。「超・上層教育」という本で出ているようなので、買って読んでみました。
内容紹介
いま富裕層が子どもに通わせる学校は学習院でも慶応でもない。「世界で通用する学歴」こそ子供への最高の贈り物と考える彼らが選ぶのは海外ボーディングスクール。世界の石油王や王族の子弟と机を並べ、わが子に「世界の品格」を学ばせているのだ。自家用ジェットで授業参観に乗りつける親あり、豪華クルーザーで地中海を回る同窓会ありの超リッチな環境で学ばせる現代の帝王学を公開。東大では上流になれない時代の新しい教育法。
私もアメリカのプレップスクール出身です。しかし、その後、いろいろな理由から州立大学に進学することになって、今に至るので、プレップスクール出身とはいえ、かなり変わった経歴かも。
この本を読んで、「表面的には正しいけどなにかが違う...」と、違和感を感じざるを得ませんでした。
「国際社会で第一級の人物と付き合うにはバイリンガルだけでは不十分、バイメンタリティ(多重精神)とバイカルチュラル(多重文化)が必須」という下りは、そうかなぁと思います。
確かに、二度の戦争をくぐり抜け、財産を何度もなくした経験をした祖父母は、ここに書かれているように「お金を失うことはあっても、知識と教育は奪われることが無い。だから、教育にはお金がなくても教育にだけはお金をかけるように」と常日頃から言っていたらしく、両親は、教育にお金をかけることを厭わなかったと思います。大学創設をし、教育に力を入れていた家ということも影響していたと思います。おもちゃは買ってくれなかったけれど、本は好きなだけ買ってくれたし、やりたい勉強があると言えば、そのときに見つけられる最高の先生を探してきてくれました。
だから、確かにここに書かれていることはそうだと思うんだけど.... 「けど」がつくのです。
文武両道やシェアの精神の下りも、確かにボーディングスクールがめざしているものではあるけれども、別にボーディングスクールだからというわけではなく、普通の学校でだってできているところはもちろんあるから、すごく違和感がありました。
そう、違和感の理由は、このロジックの部分だと思います。全体を見ずに、各論だけついて、それを正と定義するところが気持ち悪いのでした。
確かに、私はプレップスクールでいい教育も受けましたが、悪い刷り込みもありました。そこから解脱するのに(解脱という言葉がぴったりだわ)、20代の多くの時間を費やしてしまいました。
私の友人たちの多くは、プレッピーではないけれど、それぞれ家族が与えてくれた教育とその後自分で選択した教育をきちんと活かして、すばらしいキャリアだけでなく、社会貢献をしていています。ボーディングスクールがすべてではなく、与えられた、あるは選択した教育を、どう人生に活かしていくのかは、その子次第なんじゃないかと思うのです。
...と書いていたら、母校からの年間報告書が届きました。1年の活動をまとめた冊子ですが、圧巻なのは、最後に誰からいくらの寄付があったかという一覧です。しかも、貢献度何パーセントというパーセント表示で、卒業年度毎に一覧になっております。お金だけで測れるわけではありませんが、母校への愛情が「寄付」という形で一覧表にされてしまうのですから、ドキドキします。こういうところがプレップスクールの悪いところなんじゃないかなと思いながら、毎年、そこそこのレベル(平均よりもちょっぴり上)でランクインしている自分の名前を見ると、「嫌われない程度に平均点プラスアルファを取る」戦略が見え見えで、スタンスを取れない自分が浅はかだとも思ってしまうのでした。そういう意味では、まだ本当に解脱していないのかも。
もちろん、母校の教育は非常に良い教育だと思っており、後輩を紹介していますし、娘が産まれたら母校に行かせたいと思っています。しかし、どんなモノだっていい面と悪い面があるのです。悪い面がほとんど描かれてない本書は、良書とは言いがたいですね。
(総合評価:★★☆☆☆ あまり外に出ない話をリサーチしたことはすごいと思います。しかし、人にはあまりおススメしたい本ではないですね....)
コメント ( 1 )
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知人からのメールで、臼井さんのこの展開に「なんだか違和感あり」と思っていたのは私だけではないことが分かりました。ロジック展開の問題だけじゃないのは間違いないのだけれど、いったい何にそんなに違和感があるんだろう!?