上智のコミカレ「生殖医療・倫理・法」 第七回「生殖医療と障害者差別」
第七回は、矢島先生の「生殖医療と障害者差別」でした。
「人権は対国家 or 権力」という最初のお言葉が、ずーんっ!と、心に響いた授業。
日本産婦人科学会による着床前診断に関する各国の制度の比較(科学技術文明研究所・日医総研より)」は、非常に興味深い。日本の規制法がないというのが、アメリカ、イギリス、フランス、スウェーデン、ドイツ、オーストラリア、スイス、オーストラリアとの比較で顕著。以前、生殖医療の仕事をしていたときにも、先進国で唯一法規制がないのが日本!とやり玉にあげられていたことを思い出します。
公のレベルでどこまで自己決定できるのか?が、議論のポイントとなります。
”知っていたら教えてあげるけど、知らないなら教えてあげない”というタマイマリコさんの議論についても言及されて、「知らないなら教えてもらえない」という点があることに(多くのモノはここに入るのかもしれませんが)、ドッキリ。
先日、友人が21週を境に、子供を助けることになるということを知らなかったことについて、無知だと思ったけれど、こういう考え方があることを知り、自分の無知さ加減に腹が立ちました。
この講義では、”自己決定権”の意味するもの”私的な事柄に関しては、他人を害することのない限り、自らの決定により、自らの責任においておこないうる”という考え方に対し、”自己決定の限界”について議論を展開する点が、非常に勉強になりました。
普段の生活で”自己決定権”なんて使いません。が、日本の憲法13条では「すべての国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と定義されているわけで、さらに、第24条2項では、「配偶者の選択…家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」とあり、尊重 vs 尊厳の問題がここで出てくるとは思いもせず!! 憲法まで見ている医療関係者なんていないのでは!?と、しかし、日本に住んでいる以上、日本人である以上、憲法は大事なので、「なんで今までカバーしていなかったんだ!?」と思ったり。授業の間中、頭の中で、いろいろな議論が飛び交っていました(自分の頭の中だけです…)
リプロに関わる自己決定についてもさらに矢島先生は議論を展開。
- 子供をもつ(産む)こと
人工授精、体外受精、代理懐胎 - 子供をもた(産ま)ないこと
不妊手術、避妊、人工妊娠中絶手術 - みずからが望む子をもつ(産む)こと
減数(減胎)手術、男女産み分け法、出産前診断術、着床前診断術
これらについての自己決定の限界について言及され、具体的には以下の2点について議論されました。
- 妊娠中にそれが判明し、人工妊娠中絶手術をすること
- 妊娠前にそれが判明し、着床させないこと
私からすれば、本人がそうしたいと思えば、そうすれば?という感じだったのですが、本人が望む・望まないにせよ、法的にはそういう立場は取れないことであったり、非常に難しい問題が絡んでいることを、矢島先生はご指摘されました。
しかし、このような法的な理由で医師はその立場を取れないというのは、なかなか一般市民(特に女性)には知られていないのではないかと思います。生殖や周産期の仕事をしてきている私ですら知らないことも多いのであれば、一般の方は、さらに知らないのではないか!?
ブログにこういうことを書いているのも、物議を醸すことは分かっているのですが、「事実」として知っておいてもらいたいなぁと思うことを書いておくことで、少しでも世の中に知ってもらえるといいなぁと思うからです。(習ったことを忘れないという点もありますが)
最後に…「自己決定する場合は、自己責任取れるところまで、引き受けられるまでやる」というお言葉がこの議論を決定付けているのだと思いますが、「責任の中身は何なのか?」これをきちんと議論し、落としていかねば、一般の方々からのご理解は得られないのではないかと思いました。
今日もハードな内容の授業でした。
上智コミカレ「生殖医療・倫理・法」の記事
- 第十回 「AID、生殖補助医療における法と倫理」
- 第九回 日本における生殖補助医療
- 第八回 新生児の医療をめぐって
- 第七回 生殖医療と障害者差別
- 第六回 遺伝カウンセリング、DTC(direct to consumer)検査
- 第五回 遺伝子と遺伝学
- 第四回 出生前診断と着床前診断
- 第三回 ヒト胚研究の現状
- 第二回 出生前の生命をめぐる法と倫理
- 第一回 刑法と母体保護法、堕胎と人工妊娠中絶
- スタートのお知らせ
コメント ( 1 )
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この授業でもう一つ私が考えさせられたのは、「いつから人間なのか?」ということです。唯脳論を唱える人もいれば、外観を重要視される方もおり、現在の日本では、21週までは堕胎が可能なことを考えれば、21週が境目なのか!?
20週6日で生まれた子供も、泣きます。泣いていても、親がいらないと言えば、銀のトレーの上で、死ぬまで、医師も看護師も「これはモノ」と言いながら、息絶えるのを待ちます。そして、親には、堕胎が終わったことだけを伝えます。
21週。そこがどうして境なのか。
線引きを作らねば現場が回っていかないのも分かります。
命とは何なのか?
それを考え続けるのが、我々のできることなのだと、痛感しました。